ダンマトーク 第3弾。松山大耕師

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先日はダンマトーク第3弾。

大本山妙心寺・退蔵院副住職・松山大耕師をお招きしての法話会。

色々なところで講演をされている大耕師にとって、お寺で話すのは二回目とのこと。いかに活動の幅が広いかが伺い知れます。

印象に残ったことは、退蔵院の「退蔵」とは、「陰徳を積む」という意味。「なぜ良いことをしているのに、隠す必要があるのか?」という当たり前の問いかけに対し、「良いことをしていれば、その人となりからわかる」とのこと、

知識だけもっていても実践が伴わなければ全く意味がない。何年も修行していれば、人の価値は立ち居振る舞いでわかるのです。例えば、襖の開け閉などでも・・・

 

「実践」の重要性と、ここでは書きませんが大耕師の今後のビジョンを聞いて、たくさんの刺激を頂きました。

頭が良いだけでなく、話も面白く、その人脈もすごい。三拍子そろった大耕師のお話しでした。お忙しいところ遠路お越し頂きありがとうございました。

ここで、『論語』より
「学んで時に之を習う、亦説ばしからずや。
 朋有り、遠方より来たる、亦楽しからずや。
 人知らずして慍らず、亦君子ならずや。」

気づきがあって、それを習熟する。何とそれは嬉しいことではないか。
同じ志をもった友人が遠方よりやってきて語り合える。何とそれは楽しいことではないか。
誰も自分を評価してくれなくても、不満を言わない。それこそ立派な人間ではないか。

次回のダンマトークは11月7日に谷中全生庵の平井正修師です。近日中にブログにあげます。

また、「てらこや論語塾」もぜひお越しくださいませ。

秋季彼岸会

彼岸[1]
昨日は龍雲寺で秋季彼岸会を行いました。連休ということもあり、また好天に恵まれたため、約500人の方にお参り頂きました。母やお手伝いの方々による手作り「おはぎ」も好評でした。
おはぎ[1]古説によれば聖徳太子が大阪の四天王寺を建立された折、春分、秋分の日に太陽が真東より出でて、真東に沈むその時、太陽の光が寺の華表を照らしたことにより、その日を仏縁と定めたと言われています。以来皇室では、春分・秋分の日に歴代の天皇の御霊を祀る皇霊祭という儀式が行われておりましたが、明治になって宮中行事から国民行事とされ、国民の祝日になったそうです。その後、終戦を経て皇霊祭は取りやめとなり、昭和二十三年「国民の祝日に関する法律」の公布によって、春分・秋分の日は、引き続き国民の祝日として制定され今日に至っています。その理由とは、以下の如くです。(『法雲寺誌参考』)

春分の日 自然をたたえ、生物を慈しむ日

秋分の日 先祖を敬い故人を偲ぶ日

 私ごとですが、今年は祖父と祖母の七回忌でした。お墓参りの時、お位牌に手を合わせるとき、祖父がよく口にしていた「死んだ人々は還ってこない以上、生き残った人々は何が判ればいい?」という、フランスの詩人ジャン・タルジューの詩を思い出します。亡くなった大事な故人に手を合わせ、心から向き合ってみると、きっと何かを教えてくれるはずです。

ラグビー日本代表

ラグビーの日本代表すごかったです。

私の叔父さんがラグビーが大好きで、従兄弟も選手として花園に出場(現在は臨済宗の僧侶)していたのですが、久しぶりにラグビーを観戦しました。

今日、叔母さんに「日本代表選手に花園大学の卒業生がいたのよ」と聞いて、びっくり。

日本唯一の臨済宗の大学である京都・花園大学の卒業生に、トンガ出身のNO8アマナキ・レレイ・マフィ(24=NTTコミュニケーションズ)選手がいました。
彼もきっと坐禅をしたはず!笑
趣味に「坐禅」と書いてほしかったです・・・

何はともあれ、応援しましょう!
ラグビー日本代表公式ホームページ

Mr.children と ブッダ

先日、Mr.childrenの桜井和寿さんが「愛」について話をしていました。

「愛ってどんなものなんだろう」と考えたとき、思いっきり殴られたような強い衝撃を受けた言葉が、「ブッダの言葉」だったとのこと。

 

その説話です。

裕福な家の若い嫁であったキサーゴータミーは、そのひとり子の男の子が、幼くして死んだので、気が狂い、冷たい骸を抱いて巷に出、子どもの病を治す者はないかと尋ねまわった。

この狂った女をどうすることもできず、町の人々はただ哀れげに見送るだけであったが、釈尊の信者がこれを見かねて、その女に祇園精舎の釈尊のもとに行くようにすすめた。彼女は早速、釈尊のもとへ子どもを抱いて行った。

釈尊は静かにその様子を見て、「女よ、この子の病を治すには、芥子の実がいる。町に出て四,五粒もらってくるがよい。しかし、その芥子の実は、まだ一度も死者の出ない家からもらってこなければならない」と言われた。

狂った母は、町に出て芥子の実を求めた。芥子の実は得やすかったけれども、死人の出ない家は、どこにも求めることができなかった。ついに求める芥子の実を得ることができず、釈尊のもとに戻った。彼女は釈尊の静かな姿に接し、初めて釈尊のことばの意味をさとり、夢から覚めたように気がつき、わが子の冷たい骸を墓所におき、釈尊のもとに帰ってきて弟子となった。

『パーリ長老尼偈註』 ~仏教伝道教会『ブッダのおしえ』より~

この説話を聞いた桜井さんは、「自分は哲学者でも、宗教者でもないから、言葉にできない”愛”というものを、歌で表現しよう」と心に決めたそうです。

「生きている時も愛して、死んでも愛し続ける」、「死んだものも同じように愛すればいい」という言葉は、まさに「愛」というものを表しているように思えました。

言葉を超えた存在を「さとり」とする私たち禅宗にとって、とても興味深いお話しでした。言葉ではどうしても言い表せないものを、どうやって表現していくか。とても大きな宿題をもらったような気がします。

龍雲寺こども論語塾 第3回

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昨日は、安岡定子先生の「龍雲寺こども論語塾」第3回目でした。
たくさんの方にご参加頂き、ありがたく存じます。

今回の論語より

子曰わく、「仁遠からんや。我仁を欲すれば、斯(ここ)に仁至る」

孔子先生がおっしゃった。

「仁は私たちから遠くへだたったところにあるものだろうか。いや、そうではない。自分から進んで仁を求めれば、仁はすぐに目の前にやってくる」

※『こども論語塾』安岡定子著より

 

知りたいと思うこと、聞きたいと思うことは、向こうから近づいてくる。

その想いが強ければ強いほど・・・

誰よりも「こども論語塾」で勉強になっているのは、もしかしたら僕なのかもしれません。笑

本当にそう思うほど、論語には計り知れないものがあります。

お子さん達も三回目ということで、しっかり素読もできます。今回は一人ずつ前にでての発表です。みんな本当にすごかったです。

ファイル%202015-09-07%2020%2044%2000[1]四歳から十歳までの子たちが、ともに学べる場はなかなかありません。しかも、大学生も大人も学べる論語塾、次回も楽しみです。