金子みすゞを語る会。

kaneko

来る3月13日に龍雲寺に於きまして、「みんなを好きになりたかったみすゞ~金子みすゞを語る会」を行います。

私自身、金子みすゞさんの「大漁」という詩がが好きで、生き死にをこんなに鮮烈に表現できることに感動しておりました。5年前の東日本大震災の時に、テレビをつけるといつも流されていた「こだまでしょうか」にしても、どれも言葉では言い表しがたいことを、素直に伝えている・・・。

昭和五年の3月10日に26歳という短い生涯をご自身で閉じてしまった金子みすゞさんの世界を、お寺の本堂で「言葉を伝えるプロ」に紹介して頂けたらと前々から思っていたところ、とても素敵な出会いがありました。

それは、参加している恵比寿で行われている安岡定子先生の「論語知らずの論語塾」の共催者の村上信夫さんでした。NHKで活躍されて、現在は「嬉しい言葉の種まき」をしながら、各地で「ことば磨き塾」を主宰されている村上さんは、かつて山口局に赴任されていたときに、金子みすゞさんの作品と出会い、40年にわたってその魅力を伝えている方です。

言葉という誰でもつかえる手段をつかって、どうその想いをつたえるか-

言葉では言い表せないものを伝えることは、私たち禅の世界でも大切とされ、それでいて本当に難しいとされています。

村上さんとお話しているうちに、龍雲寺での開催を快諾してくださり、東日本大震災から5年、そして金子みすゞさんのご命日の3月に行うこととなりました。

「朗読会」ではなく、「語る会」。これにも村上さんの温かさが表れているなと感じています。

HPから申し込みができます。ぜひ、お越しください。

玄侑宗久師 ② 「明日できることを、今日するな」

昨日のブログで、必ず逆の意味のことわざがあることに触れました。

逆の意味の言葉を置くことにより、それによってバランスをとっていることは、とても興味深いはなしでした。

玄侑さん曰く、

「今日できることを明日に延ばすな」という言葉には、逆の意味がない・・・

私なりに考えて、「明日は明日の風が吹く」でしょうか?と伺ったところ、それでは、「だから、今日をとにかく一生懸命生きる」という感じになると言われてしました。

確かに。

禅でいうところの「今日一日だけと思って生きる」という生き方は、究極の目標であり、「その日ぐらし」という言葉にも表されています。

それでも玄侑さんは、やはり「明日できることを今日するな」という極端な諺も、特に経営者にとっては必要ではないかと。

また、「一休」という名前にはそんなニュアンスも感じると。

「明日できることを、今日するな」という意味の諺がないかぎり、「今日できることを明日にのばすな」という諺はバランスが悪い。そして、真理がないのではないか。

明日できることを、無理矢理今日しなくてもいい。そのくらいの余裕が人生には必要なのかもしれません。「果報は寝て待て」ともちょっと違うような気もしますが、このことを考えるのは、明日以降にしようと思いました。

玄侑さん

 

ダンマトーク 玄侑宗久師 「頓悟漸修という生き方」①

昨日は龍雲寺ダンマトークの第5回目、臨済宗妙心寺派の僧侶でもあり、芥川賞作家であられる玄侑宗久師でした。玄侑さん

演題は「頓悟漸修という生き方」

頓悟とは「順序次第の階梯を経ず、速疾の証悟を得、心地を開明すること」で、頓悟漸修とは「頓悟のためにはその前に漸修が必要である意。または、なず頓悟して然る後に漸修するという意」ということになります。

頓悟の意味的な反対語は、漸悟ということになり、その意味は「漸漸次第をふんで修学して後に開悟の域に進むこと」

日本の臨済宗においてみると、「梯子禅」と呼ばれ、禅問答である公案をハシゴのように段階を踏んで上って悟りに達する白隠禅師とそのお弟子たちが大成したカリキュラム的な「白隠禅」が漸悟、龍雲寺に関係深い盤珪禅師が提唱した「ありのまま」「そのまま」が仏心であり、悟りであるという「不生禅」が頓悟ということになります。

盤珪禅師の一番弟子が開山(お寺を開かれた)龍雲寺の住職としては、「不生禅こそ臨済宗の主流だ!」と声を大にして言いたいところですが、私が修行したのは「白隠禅」以外の何物でもなく、白隠禅師の教えこそ「禅の主流」であると思っております。

禅宗の中には、決して相容れない二つの考え方があります。

・仏になるのか。

・仏であったのか。

この点について玄侑さんのお話はとても興味深く、「どちらも大事で、その間を直感で選んでいくことが頓悟漸修の生き方」という内容でした。ここからは玄侑さんのお話の一部です。

必ず言葉には、裏と表がある。

私ー公。義理ー人情。本音ーたてまえ。

とてもおもしろいのが「ことわざ」でした。

善は急げ ー 急がば回れ

嘘つきは泥棒の始まり ー 嘘も方便

芸は身の技 ー 芸は身を助ける

立つ鳥跡を濁さず ー 旅の恥はかき捨て

二兎追うものは一兎も得ず ー 一石二鳥

喉元過ぎれば熱さを忘れる ー 羮に懲りて膾を吹く

血は水よりも濃い ー 遠くの親類より近くの他人

このように、必ず逆の言葉がある。「常にそうする」「そうしなければならない」では危うい。ちょうどいいところを直感で決めていくことが大事。

「頓悟だけでは危うい・・・」

何かをするとき、直感で早く動いたときは「善は急げ」と自分を肯定する。それとは別に、直感で思いとどまったときは「急がば回れ」と。

二つのものをつくってバランスをとる。玄侑さんは「両行」とおっしゃってました。

日本語は奥が深い・・・そして仏教も。とても充実した時間でした。また、このブログで紹介していきます。

 

 

 

龍雲寺 てらこやこども論語塾

てらこや

安岡定子先生をお招きしての「てらこやこども論語塾」於 野沢龍雲寺

今年も本堂でスタートできました。ありがとうございます。

お子さんたちの成長ぶりに驚くばかりか、私自身も成長できます。

恥ずかしながら、「節分」が年に4回あることも、なぜ「四季は?」と訪ねられ、「春夏秋冬」と「春」から答えるのか・・・など、気にも止めず何も考えてなかったと反省させられます。

また、お正月など「何の意味があるのか・・・」、「面倒くさいな」と思ってしまっていた色々な風習や飾り付けなど、そういった儀式、儀礼を「続けていくことに意味がある」ということを、2500年前の孔子の時代から、忠告されていたということに感動しました。「続けていこう」と思うことはもちろん、「続けていくことに意味があるし、節分のように調べていけば必ずいみがあるはず」と反省し、実行していきたいと思いました。

お子さんにとっても間違いなく将来どこかで役にたってくれると信じていると同時に、一緒に参加する大人にとっても「学び」や「気づき」がたくさんあります。

毎月一回開催していますので、ぜひご参加ください。

「吾日に吾が身を三省す。

人の為に謀りて

忠ならざるか。

朋友と交わりて

信ならざるか。

習わざるを伝えしか。」

「私は日に何度も自分の行いを省みている。人の相談相手になって、真心をつくしていなかったのではないか。友人とつき合って嘘をつかなかったか。自分が十分に理解できていないことを、人に伝えたり教えたりしてしまっていなかったか。」

安岡定子著『こども論語塾』より

 

 

ブログ、リニューアルしました。

すっかり、新年も半月以上たちました。

ブログ久しぶりに更新します。

ホームページもリニューアルして、ブログも新しくしました。お読みいただけたらありがたいです。白隠 猿
写真は龍雲寺蔵の白隠禅師・「猿猴捉月図」です。
猿が水に映った月をとろうとするところを描いています。
これは、猿王が枝につかまり、さらに五百匹の猿が次々にあい連なって水中の月を捉えようとするが、結局、枝は折れて猿たちは水中に落ちてしまうという話をモチーフにしています。

妄想(水面の月)を真理と、思い込んで求めてしまうことのたとえといわれています。

どうしても幸せを違うところに求めてしまう。そんな人間の姿を表しているのかもしれません。