「当」と「到」。  ~白隠禅師坐禅和讃~

 

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こちらは、2013年に発行された別冊太陽「白隠 ~衆生本来仏なり~」です。先日京都の妙心寺で白隠研究の第一人者である前国際禅学研究所副所長・芳澤勝弘先生の講演を拝聴して、引っ張り出してきました。

残念ながら写真を掲載できませんが、この中にある「白隠禅師坐禅和讃」の真筆は、一つしか確認されていないそうです。『白隠禅師坐禅和讃』は、臨済宗の寺院にとって本当に大事なお経。それでいて馴染みやすく、読みやすい。特に「水と氷の如くにて」という「迷いと悟り」のたとえは、秀逸としか言いようがありません。

その大事な『坐禅和讃』、私は前々から疑問に思っていたことがありました。最後の「当処すなわち蓮華国、この身すなわち仏なり」というところ。「今、まさに、この場所」つまり「当処」をベストだと思うことができたら、この身は仏、幸せになることができる・・・「ありのままでいいんだ」「この身すなわち仏なんだ」と考えることができます。

しかし、その真筆は「到処すなわち・・・」となっています。「到」と「当」では全然意味が違ってきます。

修行を積んで、努力と精進を積み重ねて、「到った」ところが仏であるならば、ありのままではいけません。このところを先生に伺ったら、「わかりません」とお答えがありました。確かに当時の人しかわからないことに間違いありません。中国の音で読めば一緒であると言われる人もいましたが、それも当事者しかわからないこと。学問的に言えば、本覚(ありのままが悟り)か、始覚(段階を踏んで悟りへ向かう)ということになります。

盤珪さんの「不生禅」も本覚思想と言うべきものですが、やはりこれは白隠さんや盤珪さんの宗教者としての強い「願い」と考えるべきと思います。

苦労をしなくても、厳しい修行をしなくても、幸せであれるように・・・

「到」か「当」どちらが正しいか、結論をだせるのは私たち自身かもしれません。

 

「其の本」とは  ~建長寺様「巨福」より~

鎌倉にある大本山建長寺様が発行されている「巨福」に、私の文章を掲載して頂きました。

東海庵

「其の本とは」                      細川晋輔

「総じて参学は疑団の凝結を以って至要とす。」

白隠禅師『遠羅天釜』の一文です。禅師は続けます。「参禅においては、何といっても大疑団が大事である。だから大惠禅師も『大疑の下に大悟あり』と言い、圜悟禅師は『話頭を疑わざると大病とす』と言う」。私は僧堂(修行道場)へ掛塔する直前にこの言葉と出会いました。当時の私には、白隠禅師の「疑団」という言葉がおよそ理解出来ず、前にそびえ立つ未踏峰の高山の如くに思えたのでした。

私が修行した妙心寺のご開山様は無相大師であります。無相大師は鎌倉の建長寺で大應国師について修行され、その後、京都大徳寺の大燈国師に嗣法されました。妙心寺派にとって、無相大師の御遺戒(遺言)は今でも大切な教えの一つになっています。その中に「後昆直、老僧を忘却するの日ありとも、應燈二祖の深恩を忘却せば、老僧が児孫にあらず。汝等請う其の本を務めよ。」という一節があります。後世、たとえ私(無相大師)のことを忘れることがあっても、大應・大燈両国師の深い恩を忘れてはならない。汝等「其の本」を務めよ—— 無相大師の、深い報恩のお気持ちが込められています。

修行中のある日のこと、私はいつも通り妙心寺の開山堂を掃除していました。その時ふと「請う、其の本を務めよ」という言葉が頭に浮かびました。これまで何度も何度も口にし、耳にしてきた言葉でしたが、改めて考えると「其の本」とは一体何なのか、明確な言葉が出て来ません。そして坐禅をしている時も、食事をしている時も、托鉢をしている時も、どうしても考えてしまう。これこそまさに白隠禅師の言う「疑団」であると、私は考えに考えを重ね、ついに一つの答えを導きます。

「其の本」の「本」とは、私たち禅僧にとっては坐禅することではないか、大工さんなら大工仕事を、農家さんなら農作業を、自分たちそれぞれの役割や仕事をしっかりこなしていくことではないか、それこそが自分たちの「根っこ」であり「根幹」であり、最も大切なことではないか、と。それからというもの「とにかく坐禅さえしっかりやっていれば良い」という気持ちになってしまい、知らず知らずのうちに他のことが疎かになっていたと思います。何をするにも心ここにあらずで精彩を欠き、修行にも身が入らなくなっていきました。私は「請う、其の本を務めよ」の意味を、本来のものとはかけ離れて解釈していたのです。開山大師の意図はもっと深く、もっと広いものでした。

私の誤りに気付かせて下さったのは、妙心寺僧堂師家、岫雲軒老大師でした。岫雲軒老大師は、鹿児島の中学校を卒業後、大工をされていた中で人生というものに疑問をもたれ、九州を行脚してのち出家された方です。あるとき、老大師がご出家の因縁の地である山口県、常栄寺の齋会にご出頭されることとなり、私がお供させて頂いておりました。通された部屋で一緒にお茶を頂いていると、かつてのご自分を思い出されたのか、老大師はご出家の因縁をお話し下さいました。老大師がどのような願心を持たれて出家されたのか、かねてよりぜひ伺ってみたかった私は、息をのんで老大師の言葉を待ちました。

「当時のワシは、超能力が欲しかったんじゃ。修行をしさえすれば、空を飛んだりするような超能力が身につくのではと思っておった。」思いもよらない言葉に、私は目を丸くして驚きました。(削除)「ところがいくら厳しい修行を積んでも、思っていた超能力は身につかなかった。しかしある時気づいたんじゃ。こうしてお茶を飲んだり、お前さんと話していることこそ、超能力だということに」。私は、厚い氷が砕け、ガラガラと崩れていくような気に襲われました。今、目の前で起こっていること全ては、まさしく奇跡的な事柄の積み重ねだったのです。それらは、まるで人が空を飛ぶかのように有り得ない、まさに「有り難い」ことなのだと……。

大工を辞められた老大師は、なぜ超能力が欲しかったのでしょうか。おそらく自分を究め、あきらめるために必要だったのでしょう。なぜ自分が生まれてきたのか、そのことを疑問に思った時、心に大波が起こり、それをおさめるための力が欲しかったのです。永年の修行の末にその波がおさまってみると、そこには金色に輝く悟りの世界があったのではなく、今までと何ら変わらない、ありのままの景色があった。けれども、以前とはまったく違った心持ちで目の前のことをご覧になっている。まさに「大疑の下に大悟あり」。それに引き替え私は「其の本が何か」という疑団と一つに成り切れていなかった。だからこそ「本」を見切れずに、坐禅といういわば「枝葉」にとらわれていたのです。

「其の本」とは、坐禅することでもそれぞれの仕事でもなく「一生懸命に生きること」ではないでしょうか。寝ることも、食べることも、遊ぶことも、働くことも、何もかも全てが、私たちが務めなければならない大切なことなのです。しかし、ただ単に行うのではありません。それらを一生懸命に、大切に行う。つまり一日一日を、かけがえのない時間として大事に、大切に生きていく。それこそが、無相大師様の御遺戒「請う、其の本を務めよ」に込められたメッセージではないでしょうか。

「波無きところに波を起こす。」それが即ち「疑団」であると、白隠禅師言われました。みなさんにとっての「其の本」とは何か。波と自己とが一つに成り切った時、真の自分が現前すると私は信じています。