盆踊りの練習会でした。

今週の金曜日から、いよいよ龍雲寺盆踊り大会です。今年で49回目となるお寺にとって大きな行事の一つです。

昨日は踊りの練習会でした。みんなで楽しく踊れる盆踊り大会を目指していますので、練習にも余念がありません。盆踊り練習風景

梅雨もあけて天気もなんとか良さそうです。練習に来られなかった方も、一般の方も踊りの輪に加われます!

ぜひ、踊りにきてください。

禅とマインドフルネス

キラーストレス

 

先日NHKの番組で取り上げられていた「キラーストレス」。日々の生活で抱えるストレスの与える影響が、死へも繋がるという、とても衝撃的な内容でした。

 

ストレスを抱えると、心拍数が上がり血圧が上昇し、血液が固まりやすくなると言う。

なぜ、人間はストレスを感じるとこういう反応にいたるかというと、その理由は数万年前に遡らなくてはならないそうです。

当時の人間は、大自然の生活の中で、天敵に脅かされて暮らしていました。もし、その天敵に出くわしたなら、命をとられ、食べられてしまったのです。ただで食べられる訳にはいきません。人間も逃げ出したり、または立ち向かいます。天敵に遭遇するというストレスによって、心拍数が上がり、血圧を高めることで、瞬時に身体を動かせる態勢を整え、逃げたり戦ったりできるようにしたのです。また、ケガをしてしまった時のために、血液を固まりやすくしたというのです。当時の人類が、自分の命を守るために生み出したストレス…その対象である天敵がいなくなった私たちにとっては、不要な物なのかもしれません。

 

アメリカの心理学会の研究も紹介されていました。人間がストレスを感じないために、五つのプロセスが挙げられていました。

①ストレスの原因を避ける

②笑う

③サポートを得る

④運動によって脳の構造を変える

⑤マインドフルネス

 

先日の六本木での臨済禅師と白隠禅師の遠諱記念行事である「リレートーク」にもご登壇頂いた熊野宏明先生もご出演されていました。

最近よく「禅」と対比される「マインドフルネス」も番組で紹介されていて、海外の研究者は、「仏教の瞑想から、宗教的要素を取り除いたもの」と明言されていました。もし、この定義通りだとするならば、やはり「禅」とは違うものといえるのではないでしょうか。

 

私は、「宗教」と「学問」、私は異なるものとして考えています。「医学的根拠」や「出典」があっての「学問」と、「信じる心」あっての「宗教」と思うからです。学問的根拠があると人は安心しますが、その学問的根拠から離れてしまうと、どうしても不安になってしまう。そうなると、根拠がないものに価値を見いだせなくなってしまうのです。根拠がないものに対するときに、そっと後ろから背中を押してくれるのが「宗教」だと思うのです。だから、「学者」と「宗教者」は別の物であって、そこに「宗教」の意味が出てくると思うのです。

 

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「マインドフルネス」・・私たち禅宗の僧侶にとっても、とても興味深いものです。特にその反対語「マインドワンダリング」(心が彷徨う・心の迷走)について考えてみるとわかりやすく感じました。

 

「マインドフルネス」と「禅」は同じなのか?それとも違うものなのか?これを考えることも、ある意味「禅問答」なのかもしれません。

 

大乗仏教の考え方では、生きている以上ストレスはなくすことはできません。それでも、ストレスを減らすこと、ストレスに対して強くなること、ストレスを調整して自分の力とすることは、「坐禅」によってできると信じています。

 

スポーツ選手のような、適度な緊張をもつこともおそらくストレスを抱くことと同義だと思います。ストレスを抱きながら、それと共にどう生きていくか…少し止まって考えてみることも大切です。