「般若心経」の世界

般若心経とは?

 

たくさんの方に親しまれている般若心経は、一番ポピュラーなお経といっても過言ではありません。

 

古くは弘法大師『般若心経秘鍵』、現在にいたるまでその他たくさんの高僧方による講義や入門書が出版されています。

 

祖父である松原泰道師もその一人で、『般若心経入門』(祥伝社)版を重ねて仏教書としては初のベストセラーとなりました。私も何度読み返したかわかりません。

 

私自身も、新宿にある朝日カルチャーセンターで写経の講義を受け持たせていただき、何回か般若心経を参加者の皆さんと共に勉強させていただきました。担当の方からうかがうと、教室のある新宿住友ビルのオープン当初に、祖父が「般若心経」の講義をされていたとか。

そんなご縁を噛みしめて二百六十二文字にある般若心経と向き合ってまいりましたが、毎回「言葉で説明する」という大きな壁にぶち当たるのでした。確かに辞典や先達の書籍が示してくれることはたくさんあるのですが、「自分の言葉で」となると一歩も進めなくなるのです。ただただ知識の講義になってしまうのです。

 

そんな中、ある機会に鎌倉円覚寺の横田南嶺老大師が「般若心経だけは説けない」とおっしゃっていたことを思い出して、先日のYouTubeの対談でご質問させていただきました。

 

筑波大学時代に「般若経」を研究され、学問も禅の修行もおさめられた老師であれば、般若心経について皆が頷きとれるお言葉をいただけるのではないか。今、日本で般若心経のことを説くことができるのはこの方しかいらっしゃらない。カルチャーセンターの受講生も、全国におられる写経に取り組まれている方も、般若心経のファンの方も、何より私も、スッと腑に落ちる般若心経の答えを待ち望んでいる方は数えられないほどいらっしゃるでしょう。

横田老師のお答えは、このようなものでした。

 

無分別のこころが般若の顕現。無分別の智慧(般若)を説く『般若心経』を明皙に分析して論理的に理解して、「ああ解った」といったときにもう般若は死んでいる。

 

 であるからこそ、一心にお唱えし、一心に写経することが大切であることをお示しいただきました。

亡くなられた薬師寺の高田好胤師は、般若心経の講義のたびにふっと寂しい、むなしい思いが心に残られたそうです。般若を語って結局は知識の説明で終わってしまっていると。そんな中、五分間の心経講義を思いつかれ、幾度となく繰り返しているうちにひらめいた言葉がこちらです。

 

かたよらないこころ、こだわらないこころ、とらわれないこころ、ひろく、ひろく、もっとひろく――これが般若心経、空のこころなり

 

この高田好胤師が自分には「般若心経」は書けないと言って代わりに推薦されたのが、松原泰道師であったといいます。祖父もきっと言葉にできない般若のこころを、一人でも多くの方に届けようとされたに違いありません。

 

横田老師は「般若心経は説けない」ということで、

松原泰道師はたくさんの譬えと人生体験で、

高田好胤師はキャッチーな言葉で、

般若の心を伝えようとされたと思うのです。

私はただ「本当に般若心経の世界はひろいな・・・」と実感するのです。

 

円覚寺・横田老師様との対談 最終回


【横田老師さまとのYouTube対談 最終回】
このような機会を与えていただき心から感謝しております。
この対談をさせていただきまず思ったのは、横田老師のすごさと自分の至らなさでした。
これだけ、自分に素直に、率直に、そして深く親しくお話できる方はいないと感動しました。
もしかすると、白隠禅師や盤珪禅師はこのような方だったのかもしれません。
松原泰道師がこの対談をご覧になられたら、何ておっしゃるかなと考えていました。

細かい感想は龍雲寺のブログに譲り、この動画にある横田老師からのメッセージが一人でも多く届きますように!
般若心経を明確に理解したい方、これからの時代に大切なものをお探しの方にぜひご覧いただきたいです。私もいう拙い聞き手であったことが、一番悔やまれますが、よろしくお願い申し上げます。