「おんな城主・直虎」の禅語② 自灯明~己の信じたものを、明かりとして進む~

自灯明~己の信じたものを、明かりとして進んでいく~

 

13話「城主はつらいよ」での南渓和尚のセリフです。力がないと嘆き悔やんでいた直虎は、城主になって力を得てみると、実はその力を得るということの怖さをしります。自分の決めたことが本当のことになってしまう。しかもその結果がよければ正解となり、良くなければ不正解となる。

そんな直虎に対して南渓和尚は、「己の信じたものを、明かりとしてすすんでいくしかない」と諭します。「自灯明は、人の上に立つものの喜びであり、辛さでもある」と。

 

「自らを光とし

 自らをよりどころとせよ

 法を光とし

 法をよりどころとせよ」

 

「自灯明、法灯明」の教えです。法とはお釈迦様の教えを示しています。

お釈迦様の教えを光として、自分たちを調えていく。自分自身を光りとし自分を頼りにしていく。

お釈迦様が高齢になり、死期が近づくにつれて、後継者のことで悩む弟子たちに、お釈迦様の教えはいうのです。

「みなはただ自らを光とし、自らをよりどころとし、法を光とし、法をよりどころとして修行をすればいい。私が生きている今も、私が亡きあとも、自灯明、法灯明の教えに従うものことが、この教団の後継者となるのです」と。

 

「おのれこそ

 おのれのよるべ

 おのれをおきて

 たれによるべぞ

 よくととのえし

 おのれにこそ

 まこと得がたき

 よるべをぞえん」『法句経』

 

信じて頼りにしていた人に裏切られると、私たちは失意の中に「信じられるのは自分しかいない」と嘆きます。また、何か失敗すると「自分が信じられなくなった」と自分を突き放してしまうのです。

「信じられるのは自分だけ」、「自分が信じられない」というのは「自我」のおごりや放棄です。表面的な「自我」の奥底にある「自己」というものこそ、「よくととのえしおのれ」と示されるのです。その自己と出会えたときこそ、得がたき拠り所を得ることになるのです。

 

表面的な見返りやうわべの利益を超えた先に、直虎が城主として目指したものがあるのです。