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[002] 天下の人の与に蔭涼とならん

天下の人の与に蔭涼とならん(臨済録)

臨済宗の開祖である臨済義玄禅師は、はじめ黄檗希雲禅師の元に弟子入りをし、三年もの間血の滲むような修行に励みます。しかしどうしても悟ることができませんでした。自信喪失の禅師の様子を兄弟子の睦州禅師が見て一計を案じます。
密かに師である黄檗和尚に睦州禅師が
「先ごろ弟子入りした臨済は誠にまじめで将来見どころがあります。もし辞めたいと言って挨拶に来たのなら、よろしくご指導ください。彼は将来、自らに鞭を打って成長し、必ずや一株の大樹となって天下の人の為の蔭涼(涼み場所)となるでありましょう」と口ぞえをしたという話にある言葉です。
果たして臨済禅師は睦州の言ったとおりに大蔭涼樹となられたわけです。
真夏のカンカン照りの真っ只中、大樹の日陰ほど有難いものはありません。
自分自身は例え太陽の直射に晒されようと大樹は大きく四方に枝を張り、焼け付くような直射日光を遮ってくれます。
私たちは何も大樹にならなくても良いのですが、例え葉の繁みの少ない小さな樹でも充分です。
色々なことに悩み苦しむ人々にちょっとした憩いの場を与える事ができる樹になりたいものです。
私生活中心主義と申しますか、他人のことに一切関知せず、自分だけの生活のその日その日を暢気に暮らし、趣味に合った生き方を望む人が多いのですが、勿論大上段に振りかぶって国のため社会のため、人のためというのではありませんけど、自分を取りまく周囲の限られた人々だけにでも傘を差しかけてあげる、即ち言ってみればささやかな思いやりの心を持つべきだとこの語は教えています。