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[032] 青原白の酒三盞、喫し了わって猶お道う未だ唇を沾さずと

青原白酒三盞、喫了猶道未唇沾

『無門関』第十則にある「清税孤貧(せいぜいこひん)」
 曹山和尚、因みに僧問うて云く、「清税孤貧、乞う師、賑済(しんさい)せよ」。山云く、「税闍梨(ぜいじゃり)」。税応諾(おうだく)す。山云く、「青原白家の酒三盞、喫し了わって猶お道う未だ唇を沾さずと」。
 曹山本寂(そうさんほんじゃく)和尚(八四〇〜九〇一)は洞山良价(とうざんりょうかい)禅師の法を嗣ぎ、曹洞宗の宗旨を大成した人。清税は生没年等不詳で、この曹山和尚との問答のみを残す中国の唐末の禅者です。「闍梨」とは阿闍梨の略で尊称、「青原」とは日本でいえば、灘・伏見といった酒の名所、「白家」とは醸造家の白氏の家という意味です。
 ある日、曹山和尚の所に一人の僧が来て問います。  「私は清税と申す修行僧です。近頃。手許不如意(てもとふにょい)で食うや食わずで困っております。助けてくれる友人も縁者もありません。曹山和尚、一つ何とか救って頂けませんでしょうか」 しかし、これは表面上の言葉であって、清税の云わんとする所は別にあります。
「私も長年、修行に修行を重ねて、やっと孤貧、即ち、無一物、カラッとして塵一つない境涯を得る事が出来ました。 しかし、仏法の大海は漸(ようやく)く入れば漸く深しと申します。この上、何を会得したらいいのでしょうか」という所です。表は極めて謙遜していますが、腹では、「どうだ! 俺の境涯に参ったか」というのです。
 曹山和尚、こんな事で負けてはいけません。僧の心中を見て取って、 「税闍梨(ぜいじゃり)――税和尚さん」と呼びかけます。清税、思わず応諾(おうだく)、「ハイ」と答えます。すかさず曹山和尚、 「青原白家(せいげんはっけ)の酒三盞(さけさんさん)、喫(きつ)し了(お)わって猶(な)お道(い)う未(いま)だ唇を沾(うるお)さずと」と一喝します。
 「お前さんも欲ばりだね!灘の生一本(きいっぽん)を腹一杯飲んでおきながら、口をぬぐって、まだ一滴も頂きませんとは!」
 お前さんは、もう十分無一物なのに、「孤貧(無一物)!孤貧!と鼻もちならぬ、悟り自慢もいい加減にしろ!そんな事を一言でも口にしたらもう千里も異なってしますぞ!「和尚さん」と呼ばれて素直に「ハイ」と答えた心が、そのまま無一物の端的であり、そのままで十分だというわけです。
 中国の昔話に、目も鼻も口もない「混沌(こんとん)」というものに、友人達がそれでは不自由だろうと思って、親切に目や鼻や口をつけてやったら、混沌は死んでしまったという話がありますが、まさにその通り、私達は何かと余計な事をして元も子もなくしてしまうものです。
 酒といえば中国の詩人、李白を思い出します。

 三百六十日  (「内に贈る」)
 日々酔うて泥の如し

 両人対酌(りょうじんたいしゃく)すれば 山花開(さんかひら)く (「山中にて幽人と対酌す」)
 一盃一盃 復た一盃

 百年 三万六千日  (「襄陽歌」)
 一日須(すべから)く三百杯を傾くべし

中国の李白を待ちません。日本でも、
 幾山河越えさり行かば寂しさの
     終(は)てなむ国ぞ今日も旅ゆく
の短歌で有名な若山牧水(わかやまぼくすい)(一八八五〜一九二八)は、李白に劣らぬ酒を愛した人です。彼は宮崎県に生まれ、早稲田大学で北原白秋と机を並べ、尾上柴舟(おのえさいしゅう)に就いて歌を学びます。一生涯、酒を愛し、酒の歌人、桜の歌人として多くの歌を残しています。
 「白玉の歯にしみほとる秋の夜の酒はしずかに飲むべかりけり」  李白も、牧水も、「青原白家(せいげんはっけ)の酒三盞(さけさんさん)、喫(きつ)し了(お)わって猶(な)お道(い)う未(いま)だ唇(くちびる)を沾(うるお)さずと」を地で行った。

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