禅語集

29

羸鶴寒木に翹ち、狂猿古台に嘯く
羸鶴寒木翹、狂猿古台嘯

碧巌録

羸鶴寒木翹、狂猿古台嘯(碧巌録)

「碧巌録」の編者雪竇重顕せっちょうじゅうけん禅師は「始随芳草去、又逐落花回」が春風駘蕩しゅんぷうたいとうの美しい禅の消息ならば、この句もまた、禅の消息でなければならないとじゅしたのです。
   大地繊埃だいちせんあいを絶す
   何人かまなこ開かざる
   始め芳草ほうそうに随って去り
   又落花を逐うて回る
   羸鶴るいかく寒木に翹ち
   狂猿 古台に嘯く
   長沙 限り無き意
   とつ
 「羸鶴」とは、痩せ衰えた鶴のこと、「寒木」とは、木の葉の落ちた枯れ木、「翹つ」とは、枝などに止まること、「狂猿」とは、飢えで狂ったように啼く猿、「古台」とは、人の住まない軒の傾いたボロ家のこと。
 「鶴寒木に翹ち、狂猿古台に嘯く――」すなわち老い病み、痩せ衰えた一羽の鶴がしょんぼり、枯れ木に止まっている。山中のボロ家に一匹の猿が狂ったように啼き叫んでいるというわけです。寒風吹きすさぶ、誠に凄惨な光景です。
 「始め芳草に随って去り、又落花を逐うて回る) の消息が暖かい肯定の世界ならば、この句は厳しい否定の世界です。雪竇禅師は何も、「生」「楽」「喜」「盛」「愛」だけが人生ではなく、「死」「苦」「悲」「衰」「憎」もまた人生というわけです。
 江戸時代の俳人、小林一茶は、一七六三年、野尻湖の近くの、貧しい農家に生まれます。三歳のとき母を失い、後添えのまま母にいじめられます。十四歳の時、可愛がってくれた祖母を失い、愈々いじめが激しくなります。ついに十五歳の折、江戸に奉公に出ます。奉公もままならず、俳諧師の仲間に入って俳句の勉強をしたりしましたが、一所に住することができず放浪生活を送ります。故郷の父が死に、義弟との長い争いの末、故郷に落ちついたときには、すでに五十歳になっていました。やがて、菊女と結婚し、長男が生まれますが、一ケ月後にこの世を去ります。長女、さとが生れます。一茶は可愛がります。しかしそのさとも突然、病で他界します。一茶は半狂乱のように泣きます。さらに一茶は地獄の責め苦を味あわされます。次男、石太郎は妻の背で死に、また妻の菊女まで、はやり病で失います。さらに三男の金太郎は、あずけられた乳母に乳がなく栄養失調でこの世を去ります。やがて再婚しますがまもなく離婚、三人目の妻を迎えて間もなく、今度は一茶自身「中風」に罹り不自由な体になってしまいます。あまつさえ火事まで起こして、焼け残った土蔵の中で寂しく六十五歳の生涯を閉じるのです。一茶の六十余年の生きざまは、何だったのでしょうか。まさに不幸、悲しみの連続です。この悲しみ、不幸に耐えて、心の奥底に自嘲にも似た哀しみを秘めて特異な俳句を創作していったのです。
 我と来て遊べや親のない雀    
 やれうつな蝿が手をする足をする
「羸鶴寒木に翹ち、狂猿古台に嘯く」――、一茶の生涯にピッタリではないでしょうか。  悠々と日を選んで死んでいかれた山本玄峰老師、焼け残った蔵の中で、すべてを諦めてしんでいった一茶、どちらも立派な人生です。