梅花開五福
この句は正月の床でよく見かけます。
古来より、松竹梅の三つはお目出度いものとして、お祝いやら、慶びの時によく用いられます。松は冬の寒さの中でもその翠を失わず、竹は雪の重さも撥ね返して真っ直ぐに伸び、梅は寒さに耐えて美しい花を咲かせます。その生命力の強靭さゆえに「歳寒の三友」として、慶事に珍重されます。
「梅花五福を開く」、梅花は冬の厳しい寒さの中で芽を出し、百花のさきがけとして美しい花を咲かせ、馥郁たる香りを漂わせます。まさに厳しい冬から春を呼ぶ花です。梅の花は花弁が五枚あることから、「梅花五福を開く」というわけです。
五福とは五つの福の事で、一、寿命が長い事・二、財力の豊かな事・三、無病な事・四、徳を好む事・五、天命を以て終わる事を云います。要するに一輪の梅花でこの世界が一度に明るく、香しく、暖かく、幸せになると云う事です。
勿論、禅語としては、梅花が咲くというのは、ただ花が咲くと云うだけではありません。 心の花が開く、即ち、悟りが開ける事を意味します。長い長い修行の末、ある日忽然として悟りを開いてみると、目前に拡がる万物が光を放ち、香気馥郁、仏の世界が現出するというわけです。
江戸時代の遊女は、風流人が多かったようで、中でも名妓と云われたのは、吉野太夫、高橋太夫、大橋太夫で、芸道はもとより、歌道、書堂、茶道、香道等、諸道の道を極めたと云われています。 あるとき、高橋太夫は口切の茶事を催し、茶友を招きます。茶事には前席と後席があり、前席では床の間に掛軸のみを荘りつけ、後席では掛軸をはずし床の間には茶花のみを荘る。前席が終わり客が一旦中立し、鳴り物を合図に後席に席入りします。客が床に近づき拝見すると、床には花器のみ置かれてあり、肝心のお花がありません。客は不思議に思い、亭主に尋ねます。「御亭主、お花は!」すると、太夫静かに、「わちきが、花でありんす―私が花である」と答えたのです。