始随芳草去 又逐落花回
「碧巌録」第三十六則の公案「長沙逐落花回」の中にある話です。
長沙一日、遊山して帰って門首に至る。首座和尚いずの処にか去来す。沙云く。遊山し来る。首座云く。いずれの処にか到り来る。沙云く。始め芳草に随って去り、また落花を逐うて回る。
長沙景岑禅師(八六八年没)がある日、独りでブラリと散歩に出掛けます。夕暮れになって、どこからともなく帰った和尚を見つけて、一人の僧が「和尚、どこに行っていらしたのですか」と詰問します。和尚、おもむろに答えます。「遊山に!」。僧、追いかけます。「遊山って、一体どこに行って来たのですか」。長沙は答えます。「道端の花々に連れられて我を忘れて行ってしまったよ!帰りはハラハラ散る花びらと一緒に、いつの間にか帰って来たよ!」
長沙景岑禅師には「悟り」の「さ」の字もなく「仏」の「ほ」の字もありません、何のこだわり、とらわれも、かたまりもない、ただの赴くままに、天真爛漫、自由自在、花と一枚、自然と一枚、無心に徹した遊戯三昧の消息です。
雑踏渦巻く昨今、毎日毎日ガサガサと動きまわっている私たちにとって、この悠々自適、「遊」の消息は大いに学ぶべきではないでしょうか。
近世、最後の禅僧といわれた、三島の龍澤寺、山本玄峰老師(昭和三十六年没)の逸話です。
老師九十五歳の冬、四国遍路から帰って間もなく、病を得ます。自分の肉体の衰えを知り、死を決意して断食断水を始めます。誰が何といっても聞こうとはしません。十二月二十八日、いよいよ〝死〟が近づきます。たまたま見舞いに来ていた門弟たちが「このままだと正月早々に葬式だな!困ったものだ!」とささやき合うのを耳にはさみます。突然老師はむっくり起き上がり、「そうか正月か!それを忘れていた。正月早々じゃ大変だろう!」と断食断水を止め、「もう少し、生きよう。暑からず、さむからぬいい時を選んで、人間狂言の幕を閉じよう」と門弟たちに宣言します。予告通り翌年五月の末、再び重態の体となり、六月三日夜陰、午前一時、別れの酒を一滴飲んで悠々と遷化します。人間狂言の幕を閉じる玄峰老師の生きざま、まさに〝遊〟でなくてなんなんでありましょう。「始め芳草に随って去り、又落花逐うて回る」、―――生きるも死ぬも遊戯三昧です。